宗教改革500周年
- 2017年12月7日
- 読了時間: 9分
宗教改革の起こり
私たちは、なぜセブンスデー・アドベンチストなのだろうか。私たちは七日目の土曜日に礼拝をし、人の死は眠りだと信じる。キリストは天の至聖所において大祭司の働きをしておられると信じ、預言の賜物としてエレン・G・ホワイトの文書を大切にする。
多くの教派が存在する中で、「私たちは、なぜセブンスデー・アドベンチストなのか」という問いに明確な答えを見いだすことができなければ、これからの日本における宣教は難しいだろう。一五一七年の宗教改革から五〇〇年目を迎えた今年(二〇一七年)は、私たちが「なぜセブンスデー・アドベンチストなのか」ということを考える絶好のチャンスである。この記事では、宗教改革五〇〇周年をセブンスデー・アドベンチストとして捉え直してみようと思う。

「宗教改革」と聞くと、多くの人々はマルティン・ルターやジャン・カルヴァンのような偉大な指導者たちのもとで起こった改革だと考えるだろう。しかし実際には、ルターやカルヴァンによる宗教改革よりも前に、堕落するローマ教会内部の霊的復興のための改革が企てられていた。ヤン・フス、ジョン・ウィクリフ、ジロラモ・サヴォナローラなどの改革者たちが中心となって、新約聖書に記されている初代教会の姿に帰ろう、と宗教改革を起こそうとしたのである。しかし、ローマ・カトリック教会がこれらの改革を拒否したために、歴史を動かすような運動とはならなかった。だが、彼らの運動は決して無駄に終わったのではなく、一六世紀に起こる宗教改革の先駆けとなった。
フス、ウィクリフ、サヴォナローラなどの中世末期(一四、一五世紀)の改革運動と一六世紀に起こったルターによる宗教改革との間には、どのような違いがあるのだろうか。一六世紀の宗教改革がキリスト教界を二分してしまうほど大きな改革となった背景には、二つの要因がある。
一つ目は、社会的状況が整っていたということである。中世ヨーロッパにおいて絶大な権力を持っていた教皇は、歴史の流れの中で次第にその権威が揺らぎ、衰退の一途をたどっていた。一三〇三年のアナーニ事件では、教皇ボニファティウス八世がフランス国王によって捕らえられ、一代あとの教皇クレメンス五世はフランス南部のアヴィニョンに幽閉され(通称「教皇のバビロン捕囚」さらにその後、対立する三人の教皇が存在するという教会大分裂時代を迎えた。そのような中でフスやウィクリフなどの先駆的な宗教改革者が現れ、教皇と教会の在り方への批判が始まった。一四一四年のコンスタンツ公会議において、カトリック教会は彼らを異端として弾圧したが、教皇の衰退を止めることはできなかった。それに追討ちをかけるようにヨーロッパではルネサンスという文化運動が広がり、腐敗する教皇や教会に対して人々が批判的な見方をするようになった。このような流れが、カトリック教会を批判する宗教改革を起こす環境を整えていったのである。
二つ目の要因は、ルターやカルヴァンなどの優秀な指導者が現れたことである。ルターは一四八三年一一月一〇日、ドイツのアイスレーベンという小さな田舎町に生まれた。彼は法律を学ぶためにエルフルト大学へ入るが、ある日、エルフルト近くの路上で激しい雷雨に遭い、恐怖のために、「自分の命が助かったら、修道士になります」と聖アンナに誓った。その後、厳しい戒律で知られるアウグスティヌス派の修道院に入り、やがて聖職の働きを授けられるようになった。だがルターは、さまざまな働きにおいてローマ教会の腐敗を目撃し、改革の必要を考えるようになっていくのである。彼は聖書を深く研究し、聖書の中にのみ真理が見いだされるという思想を深めていくようになる。やがて彼は、ローマの信徒への手紙一章一七節のみ言葉を読んで、人はキリストを信じる信仰によってのみ神の前で義とされる、という確信を持つようになった。
「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。『正しい者は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです」
宗教改革から再臨運動へ
これ以降、「聖書中心、信仰のみによる救い、という思想がルター神学の中心となっていった。一五一七年、ドミニコ会修道士のヨハン・テッツェルが「免罪符(贖宥状)を購入する者は、悔い改めの必要はない。免罪符はあらゆる罪に対する赦しを与えるものだ」というメッセージを説き、免罪符を販売するようになった。ルターは、聖書にないメッセージを説いて金銭を搾取するという歪んだ制度に対して憤り、公に抗議する決意をした。
そして、一五一七年一〇月三一日、ルターは「九五か条の提題」をウィッテンベルグ城内の教会の扉に掲示し、議論したい者があれば彼のもとへ来るようにと挑戦した。また、「九五か条の提題」は印刷され、ルターの思想が広く知られるようになった。そしてルターは、聖書の中に記されている教会の理想に戻るためには、ローマ教会の制度から完全に離れる必要があると考えるようになった。
一五一七年の宗教改革以降、ルター派をはじめ、さまざまな教派が生まれた。ローマ教会に「プロテスト(抗議)」することによって生まれたプロテスタント教会は、「聖書に帰れ」という思想を中心に、「信仰によってのみ人は義とされる」という教えを説いている。しかし、信仰による義という根底は一緒でも、それぞれの教派にはそれぞれの中心となる神学がある。
宗教改革から生まれたプロテスタント教会は、ローマ教会の腐敗から抜け出し、新約聖書に記された理想的な教会へ戻ったように思われたが、それ以後、教理的進展などは見られず、宗教的に行き詰まるようになった。
このような状況の中、一八世紀末に起こった再臨運動は、一九世紀に入ってウィリアム・ミラーを中心に勢いづいたのだが、その再臨信徒たちは一八四四年一〇月二二日、大失望を経験した。ダニエル書八章一四節の「二三〇〇日の夕と朝の預言」から一八四四年一〇月二二日にキリストが再臨されると理解したが、キリストは来られなかった。大失望を経験したハイラム・エドソンは、次のように語っている。
「私たちの一番大切な望みと期待とはつぶれてしまった。そして、今まで経験したこともなかったような深い悲しみの思いが、重く私たちの上にのしかかってきた。地上のすべての友人を失うことすらも比較にならないと思えるほどだった。私たちは、明け方まで泣いて泣いて、泣き明かした」(ジョージ・R・ナイト『再臨を待ち望みつつ』二三ページ)
大失望の経験は、再臨信徒たちにとって耐えがたい辛い経験であったが、同時にみ言葉の研究と祈りを通して聖書を学びなおす貴重な経験にもなった。彼らは、この経験を通して大失望の真の意味を黙示録の言葉を通して知ったのである。
「わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。すると、わたしはこう語りかける声が聞こえた。『あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなくてはならない』」(黙示録一〇章一〇、一一節)
再臨信徒たちは、再臨のメッセージが心を喜びの希望で満たす甘いメッセージであったものの、腹に苦いほどの大失望の経験をもたらさねばならなかったこと、そして、自分たちが特別に神からの使命を受けて預言するよう召されていることに、この聖句を通して気づいた。大失望後、教会を離れた者たちも多くいたが、集まってセブンスデー・アドベンチスト教会の先駆者として聖書の研究を続けた者たちもいたのである。
セブンスデー・アドベンチスト教会の先駆者たち
彼らは、ダニエル書八章一四節の一八四四年一〇月二二日の聖書解釈が間違っていたことを認め、徹底的な聖書研究を重ねていった。「聖書のみ」を合言葉に、聖書に記されていることは受け入れ、聖書に記されていない教えは拒否し、これまでの教会での聖書解釈、教理、伝説などを、彼らは聖書に基づいて一つ一つ確認していった。
その中から「現代の真理」と言われるセブンスデー・アドベンチスト教会の教理の中心である五つの教え――(一)イエス・キリストの再臨、(二)安息日、(三)天の聖所におけるキリストの執り成し、(四)三天使の使命、(五)死後の状態――へ導かれたのである。
行き詰まっていた宗教改革を完全なものとするために、神は大失望という経験を通してセブンスデー・アドベンチスト教会をこの地上に建てられた。私たちは、この重要な事実を決して忘れてはならない。宗教改革後、ローマ・カトリック教会から分離したプロテスタント教会は今、エキュメニカル(世界教会一致)運動に賛同し、再びカトリック教会と一つになろうとしている。これは、ヨハネの黙示録に記された預言の成就である。
「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した」(黙示録一三章三節)
この獣とはローマ教皇を指す。一七九八年、教皇ピウス六世はナポレオン軍のベルティエ将軍によってフランスへ連行され、それを機にローマ教会は力を失っていった。これで、ローマ教会は終わりかのように思われたが、一九二九年のヴァチカン市国成立以降、教皇が復活し、人々は教皇に服従するようになった。教皇は、その大きな権力によってプロテスタント教会だけでなく、世界を一つにし、最終的に日曜休業令が出ることになる。これに従わなければ、人々は迫害に遭うことになるだろう。
「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった」(黙示録一三章一六、一七節)
宗教改革から五〇〇年目を迎える今年、ルーテル教会をはじめとする主要なプロテスタント教会は、ローマ・カトリック教会と和解する文書に署名しようとしている。このような中で、私たちセブンスデー・アドベンチスト教会ができることは、次の三つと言えるだろう。
(一)常にキリストと共に歩む決意を持ち、神の刻印を受けること(黙示録七章一~四節)
(二)終わりの時にあって、互いに励まし合い、集会を怠らないこと(ヘブライ一〇章二五節)
(三)バビロンから抜け出すよう、三天使のメッセージを広く世に宣べ伝えること(黙示録一四章六~一二節、一八章四節)
宗教改革から五〇〇年目を迎える今年、私たちはセブンスデー・アドベンチスト教会に集う者として、世に真理を伝えるという大切な使命を受けていることを改めて自覚しなければならない。私たちの教会は偶然建てられた教会ではなく、神はこれまでの歴史の中で、忘れられた真理を思い起こさせ、歪められた真理を正すためにセブンスデー・アドベンチスト教会を用いてこられた。
このことにより、イザヤ書に記されている預言――「あなたの子らは久しく荒れすたれる所を興し、あなたは代々やぶれた基を立て、人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる」(イザヤ五八章一二節、口語訳)――が成就されるのである。私たちは終わりの時代にあって、私たちに与えられた「現代の真理」を手に、混沌とする世の中に光を放つ使者でありたいと思う。それが、宗教改革五〇〇周年に私たちが再確認すべきことである。













コメント